ウインドサーフィンしよう!プロウインドサーファー脇元祐二オフィシャルサイト

プロウインドサーファーJ46脇元祐二のプロフィール

  • 生年月日 : 1960年9月8日 A型
  • 出身地 : 鹿児島県
  • 身 長 : 177cm
  • 体 重 : 67kg
  • 血液型 : A型
  • 趣 味 : ゴルフ、車、SUP(スタンドアップパドル)
  • ウインドサーフィン歴26年
  • インストラクター歴24年

協会活動

  • 日本ウインドサーフィン協会「JWA」理事
  • NPO法人 日本風波アソシエーション 理事
  • ウインドサーフィン技術協会「A.B.I.T.」常任理事
  • A.B.I.T.(A級指導員) / A.B.I.T.(公式検定員)
  • 前日本プロボードセイリング協会理事長
  • 元日本プロウインドサーファー選手会会長、現顧問
  • (財)日本海洋レジャー安全・振興協会海上安全指導員
  • 日本体育協会 セーリング上級コーチ
1960年 鹿児島県国分市に生まれる。
1970年 小学高学年でサッカーを始める。いまの子供達に比べるとレベルは低かった・・・。
1972年 中学校はサッカー部で当時ハーフと呼ばれるポジション。でもチビだった。
1975年 高校は何故か写真部。サッカー部とも思ったが体格があまりにも細チビだったため断念。

このころからラジコン飛行機にはまってしまい、九州選手権などに出場。
もちろんバイクにもハマり、モトクロスの耐久レースに出始める。
高校で一気に身長が伸び、今の身長となる。(ずっと178cmだったが最近縮んで177cmになった。)

1978年 大学では広告研究部でポスターなど描いていた。また社会人のラリークラブにも入る。

当時週末は山に走りに行っていたので、漫画イニシャルDに相当親近感がある。

1980年 二十歳を記念して友達と自転車で日本縦断を行う。

北海道宗谷岬から鹿児島佐多岬までを2週間で縦断したので、ただ走り続ける旅となった。

1981年 鹿児島県磯海水浴場でウインドサーフィンを初体験。
1982年 社会人となる。もちろんラリーとウインドにはまり続ける。

実家のすぐ近くに住む先輩と一緒に春から秋にかけて2年間ウィークデイは毎日夕方から練習し、さらに週末も必ず海に行っていた。(ラリーにもたまに参戦していた)

1983年 サーファー艇でのレースに参加

鹿児島でシリーズ戦が行われていた。 年末に鹿児島シリーズ戦のチャンプとなる。

1984年 宮崎のショップでカスタムボード作りを勉強し、スクールイントラとなる。

初めてマウイへ行く。もちろん飛行機に乗るのも初めて!

1985年 ハワイオアフ島で半年間トレーニングする。
1986年 大分県別府市のショップの店長となる。

ジャパンサーキットに参戦し始める。
ニールプライドアマチュアライダーとして契約(とっても嬉しかった)。セイルはニールプライド、ボードはミストラルやコブラ、WIMなどいろいろ使用。

1987年 ウインドサーフィンジャパン社に開発部員として入社。

3ヶ月間台湾で生産ラインの設備開発に携わる。

1988年 会社のシステムが変わったためウインドサーフィンジャパン退社

茅ヶ崎の先輩の家に居候して、バイトしながらプロを目指す。セイルはニール、ボードはF2使用。 セイルはワイルドウインズ、ボードはAHD(最初はお客さんから借りた)セイルとボードを正式にサポートしてもらう。

1990年 先輩とウエットスーツ会社を立ち上げる。

セイルはワイルドウインズ、ボードはAHDで営業を行いながら大会に参戦。

1992年 営業を行いながら大会に参戦。

セイルはKA SAIL、ボードはAHD

1994年 退社しAcademy46を設立。スクールに力を入れる。

セイルはKA SAIL、ボードはAHD。

1996年 スポンサーをUP SAIL・BICに変更

ジャパンサーキット年間ランキング8位

1997年 スポンサーをニールプライド・AHDに変更

同年ジャパンサーキット年間ランキング6位。1998年ジャパンサーキット年間ランキングは12位、1999年ジャパンサーキット年間ランキングは17位、2000年ジャパンサーキット年間ランキング13位

2000年 節目の40歳に

二十歳で日本縦断したから40歳で何かしようと考え、誕生日に一人で富士山に登る。上り4時間、下り2時間、天気は霧雨、次の日は筋肉痛で動けなかった。

2001年 スポンサーをニールプライド・BICに変更

同年ジャパンサーキット年間ランキング14位、2002年ジャパンサーキット年間ランキング22位、2003年ジャパンサーキット年間ランキング4位、2004年ジャパンサーキット年間ランキング19位